謹賀新年2024
2024.01.16
謹賀新年 2024年 元旦

今年は正月から、地震や飛行機事故があって厳しい年明けとなりました。

被害にあわれた方や被災地域の復興を心からお祈り致します。

高知県にとって、まったくの他人事でなく、南海トラフの大地震がこれから待ち構えています。
とても耐えられるような、自然災害でなく、途轍もない不幸をもたらす状況となるでしょう。

人間というのは、やはり無力なのかと思いつつ、助かった人々によって、継ぎの未来が始まるでしょうね。

だから、それで、というのは簡単ではありません。人間の命はたった一度なので、充分生きた上に、眠るようにお別れをするというのが幸せなのですから

人生は一度っきり、しかし、やはり、不公平だと。

あまりの落差に途方に暮れます。


ある言葉に

「愛する人が死ぬはずはありません。愛は不滅ですから、きっと、何処かに生きているはずです。ずっと、ずっと共に愛し合って生きています」







2024.01.16 23:03 | 固定リンク | 未分類
人間の本質?
2023.07.22
すっかり、ブログの存在を忘れていましたね。PC使用だと身近だったけど、スマホだと、つい、ツイッターなどの簡易なSNSを使ってしまう。

ただ、イーロン・マスクの発言が違和感を生じたので、閉じたところですね。

それは置いといて、最近分かった事があります。

人間の本質です(苦笑)
「強いものが勝ち、弱いものが負ける。多少の例外があっても。
しかし、強いものは、弱いものを助ける。いつもではないが。
何故なら、種の保存のためだ。仲間同士は助け合い生き残るという本質が組み込まれている。

が、しかし、それは強いものが余裕のある場合だけだ。無いと見棄てるしかないのだ。でも、これは他の高等哺乳類だって持ち合わせている。

私が考えるには、最初から全員がほぼ同じ強さで、勝ち負けもなく、全員が生き残れる。多少の運不運や病気があれど、衣食住、つまり、経済的に平等であることが、他のどの生物にもない人間の本質の真価だということになるのが理想だ」

そうつくづく思い、人は経済的に守られて多様性を発揮する、経済的に安心のうえに自由がある、これが民主的であり、人間の本質であって欲しい。

人生の究極の願い、理ですね。
2023.07.22 00:40 | 固定リンク | 未分類
気候変動と人類の進化
2022.07.20
6月にヨーロッパで記録的な猛暑となっている。

イタリア南部のフロリディアで48.8℃。

フランス南西部で42.9℃

日本でも40℃は超えたが、まだまだ序の口なのかもしれない。

そして、昨日、英国のロンドンのヒースロー空港では40.2℃となってしまった。


今世紀中に地球は地下で住むことになるというのも、まんざらフェイクでもないだろう。

太陽光発電でもって、地下室を冷蔵庫のように冷やすことが当たり前になったりして。

my作品から「変身」




その前に、気候変動対策に無関心で逆行する戦争や兵器の増強に走るロシアと中国と北朝鮮の方々は、他の国と戦争にならないように、国ごと火星に移住していただくことをお願いします。
2022.07.20 04:00 | 固定リンク | 未分類
ウクライナ問題
2022.03.09


 プーチンがオリンピックを避けて侵攻をしたならば、パラリンピックを無視した行為となるでしょう。極めて恥ずべき行為であり、障害者をガス室に送ったナチと同じだと思う。


スマホを持ち、車や飛行機に乗り、コンピュータを使っても、頭の中は縄文時代のままですね。
 戦争は環境破壊の最たるものです。ロシアは気候変動なんて、どうでもいいんだろう。中国も軍備拡張しか考えず、環境破壊など平気なのです。人類の未来は厳しい。
2022.03.09 14:50 | 固定リンク | 未分類
2019.08.10

                       
教壇に立つと
子供の顔だらけ
みんなの顔
こんな顔も
あんな顔も
たくさんの顔がある

笑う顔
幸せの顔
まん丸の顔の中にまん丸の笑顔
はちきれんばかりのまばゆい笑顔
ホクロもある
虫歯もある

泣く顔
辛い顔
さびしい顔
小さな不幸が小さな胸で大きくなったよ
大きな不幸が小さな胸を押しつぶすよ

小さい顔
しぼんでゆがんで
小さく小さくなった顔たち

がんばれ
がんばる小さな顔
たくさんの小さな顔たち

ひたむきな小さな顔
いきおいの小さな顔たち
大きく大きくなれ

真っ直ぐな心
真っ直ぐな道
かがやく笑顔になれ


第43回 高知県芸術祭 文芸賞 詩部門 佳作
平成26年


 塾講師時代の作品です。実は、子供の笑顔は複雑ですよね。あっ、いや、大人だって輪をかけてもっと複雑でしょうけど、笑顔に隠された苦しみや悲しみもあるでしょう。
そこまで踏み込むことが果たして可能だろうか、いや、責務としてそれを探りつづけて尚且つ、寄り添っていくことですけど、如何せん、そのような能力が神から与えられたも、いや、神云々でなく人として私にあるかどうか、実は、そこが複雑な問題なのです。

だから、私の希望なのです。何も気付けず、何も出来なかった私の願いでもあります。
もう、手遅れでしょうけど、ほんとうに、ちょっとでも心を澄ませてみれば、分かったはずなのですけど。
2019.08.10 04:35 | 固定リンク | 未分類

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