トルソーのある風景 10
2019.05.15
ハスは悲惨である。

それはこの季節・・・・沼には欠片だけが沈んでいるようにみえるのです。

この林立していたハスの葉はすっかり枯れ落ちて、根っこだけになってしまう。
それも水面下の泥の中だから、それは寂しい限りです。


 ぎっしりと葉で沼は覆われ、ハスの花がとても美しい。
何とも言えない上品な、ちょっと重めの美しさがあります。







 均整の取れたトルソーはこの光景のなかで肉体美を発揮しています。



詩人で劇作家、劇団主宰の寺山修司の言葉にこうあります。

「人が最後にかかる、一番重い病気は「希望」という病気である。」

 なかなか手厳しい。人生最後の病床で天井をみつめながら、そう思わされるでしょう・・・


・・・・不条理の作家、カミュだとこうになります。

「希望とは一般に信じられている事とは反対で、あきらめにも等しいものである。そして、生きることは、あきらめないことである。」

 人生終焉が近くなっても、ほどほどになんとか行き抜いていくこと自体が、希望を捨てないという事と解釈したい。「希望」という重い病気、不治の病なのですから、墓石の下まで持ち込むということなのですね。
トルソーのある風景 11・12
2019.05.15
深夜の歩道橋、しかし、ここは道路ではなく、海への水道にかかっています。

だから、自動車じゃなくて小さな船が行き交う上をひとが渡るのです。
だが、この時間帯にはほとんど、いや、私以外は誰もいません。

船ももうすこし明け方近くにならないと出港しませんから、波の音と川のせせらぎ・・・河口の流れですから微かに聞こえるばかりですから、あとはボラが飛び跳ねる音ですね。そして、近くにある工場からの音も聞こえてきますね。








この橋も、照明も、この水道もわたしのもの。

ふいに、パラノイアの世界に引き込まれかねません。







 そういえば、以前にここで釣りをしていたら、沖向きの岸壁の方で足音がしていましたから、てっきり、人がいると思い込んでいました。

二時間ぐらいしてから、こちらではあまりに釣れないもので、様子を伺いにそちらへ歩いていきましたら、誰もいないんですね。この歩道橋を通るか、下を抜けないと帰れないはずなんですが、あの足音は一体何だったのでしょうか。


「河童?」・・・やっぱり、そうですね。こちらの地方では「シバテン」といいますけど、人を騙すそうなので、きっと人の足音をまねて歩いていたかもね。(笑)
トルソー13・14・15
2019.05.15
私の住んでいる処から車で二時間以内のところには、いい海岸線があります。
海を意図するには絶好の住処なのです。

ここは黒潮町佐賀の海岸です。







陽光まぶしい去年の秋の日です。
今だったら、風が吹き、けっこう寒いですから
トルソーが風邪をひいてしまいます。(笑)







こちらは東の海岸です。
砂と岩のコントラストがすてきですが、潮が込んでくると
岩場の多くが沈んでしまいます。





人がかなり少なくて、まさにプライベートビーチなんですね。
トルソーに驚かれる方もいらっしゃいますので、それだけに撮影には気を使わなくて済みますね。

そして、砂もさらさらで気持ちよく、見た目もきれいです。

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いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
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まさに、「石川啄木」の短歌がぴったり。

・・・・やはり、代表的な作品はこれですね。

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東海の小島の磯の白砂に
われ泣なきぬれて
蟹とたはむる
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トルソーのある風景 No.9 浜辺の裸列
2018.01.02
砂の色も海岸によって違います。
周辺で組成されている岩石のせいでしょうね。

一見、合成画像のように見えますが、そうではありません。







安和海岸線へ向かうところの砂浜です。
船が係留されていますが、そのロープが浜を横切っています。

潮が引くとこのような砂と岩のコラボレーションが登場します。

そして、トルソーが五体、現れました。
トルソーのある風景 No.8 浜辺/足
2017.09.04
波打ち際にはかならず足がある。
それは真っ白な素足の造形。

ぼんやりと波の繰り返しをみつめていると
幾つもの足が通り過ぎる。









それらは例外なく輝いて美しい。

私は足の残したものを拾い集めて海に戻す。
足跡も波が打ち消してゆく。

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