タランチュラとトルソ
2023.09.07
世の中、感性の鈍い人間が国を支配するようになってきたなと思うこの頃です。
確かに、政治家の感性が鋭いのであれば、すぐさま廃業しなくちゃならなくなるかもしれない。







 感性が鈍い方が、つまり、薄汚れた世界であるならば、そう生きやすいというのは確かだろう。

しかし、どうかな? 日々の感動がちょいと少ないのでは?・・・それ、そういうふうに神様が人間を造ったのかも・・・。
トルソーのある風景 10
2019.05.15
ハスは悲惨である。

それはこの季節・・・・沼には欠片だけが沈んでいるようにみえるのです。

この林立していたハスの葉はすっかり枯れ落ちて、根っこだけになってしまう。
それも水面下の泥の中だから、それは寂しい限りです。


 ぎっしりと葉で沼は覆われ、ハスの花がとても美しい。
何とも言えない上品な、ちょっと重めの美しさがあります。







 均整の取れたトルソーはこの光景のなかで肉体美を発揮しています。



詩人で劇作家、劇団主宰の寺山修司の言葉にこうあります。

「人が最後にかかる、一番重い病気は「希望」という病気である。」

 なかなか手厳しい。人生最後の病床で天井をみつめながら、そう思わされるでしょう・・・


・・・・不条理の作家、カミュだとこうになります。

「希望とは一般に信じられている事とは反対で、あきらめにも等しいものである。そして、生きることは、あきらめないことである。」

 人生終焉が近くなっても、ほどほどになんとか行き抜いていくこと自体が、希望を捨てないという事と解釈したい。「希望」という重い病気、不治の病なのですから、墓石の下まで持ち込むということなのですね。
トルソーのある風景 11・12
2019.05.15
深夜の歩道橋、しかし、ここは道路ではなく、海への水道にかかっています。

だから、自動車じゃなくて小さな船が行き交う上をひとが渡るのです。
だが、この時間帯にはほとんど、いや、私以外は誰もいません。

船ももうすこし明け方近くにならないと出港しませんから、波の音と川のせせらぎ・・・河口の流れですから微かに聞こえるばかりですから、あとはボラが飛び跳ねる音ですね。そして、近くにある工場からの音も聞こえてきますね。








この橋も、照明も、この水道もわたしのもの。

ふいに、パラノイアの世界に引き込まれかねません。







 そういえば、以前にここで釣りをしていたら、沖向きの岸壁の方で足音がしていましたから、てっきり、人がいると思い込んでいました。

二時間ぐらいしてから、こちらではあまりに釣れないもので、様子を伺いにそちらへ歩いていきましたら、誰もいないんですね。この歩道橋を通るか、下を抜けないと帰れないはずなんですが、あの足音は一体何だったのでしょうか。


「河童?」・・・やっぱり、そうですね。こちらの地方では「シバテン」といいますけど、人を騙すそうなので、きっと人の足音をまねて歩いていたかもね。(笑)
トルソー13・14・15
2019.05.15
私の住んでいる処から車で二時間以内のところには、いい海岸線があります。
海を意図するには絶好の住処なのです。

ここは黒潮町佐賀の海岸です。







陽光まぶしい去年の秋の日です。
今だったら、風が吹き、けっこう寒いですから
トルソーが風邪をひいてしまいます。(笑)







こちらは東の海岸です。
砂と岩のコントラストがすてきですが、潮が込んでくると
岩場の多くが沈んでしまいます。





人がかなり少なくて、まさにプライベートビーチなんですね。
トルソーに驚かれる方もいらっしゃいますので、それだけに撮影には気を使わなくて済みますね。

そして、砂もさらさらで気持ちよく、見た目もきれいです。

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いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
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まさに、「石川啄木」の短歌がぴったり。

・・・・やはり、代表的な作品はこれですね。

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東海の小島の磯の白砂に
われ泣なきぬれて
蟹とたはむる
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トルソーのある風景 No.10 蓮池
2018.01.19
ハスは悲惨である。

それはこの季節・・・・沼には欠片だけが沈んでいるようにみえるのです。

この林立していたハスの葉はすっかり枯れ落ちて、根っこだけになってしまう。
それも水面下の泥の中だから、それは寂しい限りです。


 ぎっしりと葉で沼は覆われ、ハスの花がとても美しい。
何とも言えない上品な、ちょっと重めの美しさがあります。






 均整の取れたトルソーはこの光景のなかで肉体美を発揮しています。



詩人で劇作家、劇団主宰の寺山修司の言葉にこうあります。

「人が最後にかかる、一番重い病気は「希望」という病気である。」

 なかなか手厳しい。人生最後の病床で天井をみつめながら、そう思わされるでしょう・・・


・・・・不条理の作家、カミュだとこうになります。

「希望とは一般に信じられている事とは反対で、あきらめにも等しいものである。そして、生きることは、あきらめないことである。」

 人生終焉が近くなっても、ほどほどになんとか行き抜いていくこと自体が、希望を捨てないという事と解釈したい。「希望」という重い病気、不治の病なのですから、墓石の下まで持ち込むということなのですね。

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