トルソーのある風景 No.9 浜辺の裸列
2018.01.02
砂の色も海岸によって違います。
周辺で組成されている岩石のせいでしょうね。

一見、合成画像のように見えますが、そうではありません。







安和海岸線へ向かうところの砂浜です。
船が係留されていますが、そのロープが浜を横切っています。

潮が引くとこのような砂と岩のコラボレーションが登場します。

そして、トルソーが五体、現れました。
トルソーのある風景 No.8 浜辺/足
2017.09.04
波打ち際にはかならず足がある。
それは真っ白な素足の造形。

ぼんやりと波の繰り返しをみつめていると
幾つもの足が通り過ぎる。









それらは例外なく輝いて美しい。

私は足の残したものを拾い集めて海に戻す。
足跡も波が打ち消してゆく。
トルソーのある風景 No.7 標識
2017.09.04
人と人とが生活するには互いにルールを守らなければならない。

すべてのルールを守る人間がもっとも人間社会に適している。
「人間的ではなく人間社会的」という意味でもあって、規則ばかりだと息苦しくもなるし、ちょっとぐらいならとはみ出してみたくなるものだ。







「標識」  高知県津野町



しかし、原則として許されない。
でも、そういう世界ばかりではなく、ルール破りが賞賛される社会もある。

それは、決して反社会的という事でなく、それが許されるという、いわゆる、「アート」の世界でなのである。

人と同じことをしなければならない社会とは真逆で、同じことをすると模倣という事になり、違ったもの、新規、新奇なるものを産み出すことが評価の対象となるのである。

型破り、独特で、一方的、独りよがりも、「決して悪くない」という、一般社会でも「開発や企画」等などでも多少あり得るも、極端を極めるのはアートの世界では日常的でそれをよしとしている。摩訶不思議なせかいであり、一方では、世間に通用しない人達という危険も孕んでいる。(苦笑)

発達障害、うつ病、性格異常、統合失調、不安・強迫神経症、パラノイア、大歓迎の世界といえば、やはり、文芸、美学芸術のこの世界であり、古今東西歴史的に、断然有利なのだ。(笑)
トルソーのある風景 No.6
2017.07.05
石垣の隙間をぬって花が咲いている。

幸せの黄色いリボンならぬ、幸せの花々であって
この前の道を登っていくと家々がある。

ふと、トルストイの言葉を思い出した。

「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」






この石垣の花々、きれいに咲いていますが、成長のための養分確保には相当難しいに違いない。いちど根付いたからには、後戻りできない。

坂道を登りながら、そう考えた人が居たかもしれない。

OK
トルソーのある風景 No.5
2017.06.30
ここには時々宇宙船がやってくるそうだ。

遠方にみえる山々の向こう側から、真っ直ぐに
こちら側へとやってきて、私に問う。

「地球人ハ残酷ダト聞イタ。一人ヲ殺セバ殺人者ダガ、数万人ヲ殺セバ英雄トナルノカ?」

私は答える。
「学校の教科書ではそう教えている。」








「ソウカ。・・・ジャア、ゴキゲンヨウ。」
と宇宙船は去っていった。

黄金色に輝く宇宙船とその美しい軌跡を
追い続けながら、暫く眺めていた。

OK

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