攻撃性について
2023.09.12

SNSでの、ツイッターや掲示板やブログのコメントに堂々と批判を展開する人々・・・・ブログ炎上や2ちゃんねるなどによる他者への執拗で徹底的な攻撃・・・・

匿名ゆえに人間の本性剥き出しの「こころ」には何が潜んでいるのだろうか・・・?

マズローの心理学では、人間の第一段階の欲求は「生理的欲求」、第二段階は「安全の欲求」、第三の段階では「所属と愛の欲求(社会的欲求)」・・・・
そして問題は第四の段階にあります。

承認の欲求(尊厳の欲求)

それは自尊心を保つことと、他人からの承認を得るいうことです。自信・能力・熟練・有能や達成、自立や自由の獲得など・・・・これを自分の内なる精神に築き上げることで自尊心が育ってゆきます。

また、他人から「名声・表彰・受容・注目・地位・評判」そして理解を得られることが<他人からの承認>ということなのですね
・・・・これを阻害することで快感を得る・・・つまり、脳に快感物質を供給させるということでしょうね

結局、そのような攻撃的なコメントをしてしまう人間は「自尊心や他人からの賞賛行為」から、疎外されているか、そう思っている人達が陥りやすいのではと考えられます。うっ憤晴らし・・・それによって自分の内なる自尊心の傷つきを他者の尊厳を壊すことで、自己と同化させることを無意識下によっておこなっています。

言っていることに「一理」があると俄然張り切って、本人自身気付かない場合もあるゆえに、エスカレートはなはだしく、相手を容赦しない行為にかられています。
勿論、冷静に相手と議論をしたい場合もあるでしょうから、それはそれできちんと挨拶をして、丁寧に自分の意見を言うこともあります。それに対して、相手の方はそれほどの不快感は感じないはずですが、「紋切り口調やネット略語」などを散りばめて完膚なきまでの攻撃的な様子だと、上記の場合と考えられます。



第四の欲求の満たされると「充分な自己承認を持っている人間」といわれ、自信があり、有能で且つ生産的な人々とされます。・・・しかし、そうはた易くそのような人間が多くいる訳ではありません。


酒飲み愚痴を振りまき、言いたい放題の人間が普通に存在して、様々な不協和音のなかで人間は生活しています。・・・・・自信なく、能力も評価されず、非生産的な生活の中で、その発散先がネットの数多くのブログやBBSだとして・・・・その攻撃相手が生身の人間であり多数の悩みを抱え、やっとこその軌跡をブログに記したかもしれない・・・人の足を何故引っ張るかの論理では、「集団で優れたものが抜け出すと残された者は攻撃の対象となりやすい。・・・出来るだけ自分と同程度の人間が多く横並びにいることで攻撃対象から防御できる」あの群れから外れた子牛が襲われるようなものです。互いに足を引っ張り合って、同じ高さにしておけば、自分の身も安全だという本能からだといわれています。・・・動物にせよ人間にせよ、「優秀なものは助けられ、所属全体の利益になる」という論理、その逆に陥れば、所属集団から疎外されて、危険な状態になるということなのでしょうね。

人を貶めているというのではなく、自分と同列、あるいは格下にすることで

非常に自己中心的な防衛本能を発揮しているのでしょうね・・・。

・・・・神様が人間を始めとして多くの動物に、他者より劣ると

攻撃されやすい・・・弱肉強食・・・自分が強くなれないならば他人を弱くして自己の格上げを図る・・・・なんて・・・なんという酷い試練なのだろうか・・・核兵器を1万5千発作った人間は、おそらく、地球上で最も臆病な生物なのです。・・・まるで、家の中に包丁を百本隠し持って防衛するようなものです。・・・病気なんです。



人類こそ、いや、人類そのものが「強迫神経症」の集団なのでしょうか。


2023.09.12 01:00 | 固定リンク | 人生マニュアル
人生マニュアル(3)
2023.09.10
仏教的な魔界について 2

四魔の簡単解説

これではよく解からないので、もうひとつの解説をどうぞ。

信心修行者の生命の内側から、生命の輝きを奪う働きをいい、陰魔、煩悩魔、死魔、天子魔の四つがあります。
(1)陰魔とは、信心修行者の五陰(肉体や心の働き)の活動の不調和が信心修行の妨げとなることです。

(2)煩悩魔とは貪り、瞋り、癡などの煩悩が起こって信心を破壊することです。

(3)死魔とは、修行者の生命を断つことによって修行を妨げようとする魔です。また、他の修行者等の死によって信心に疑いを生ずることも死魔に負けた姿といえます。

天子魔とは、他化自在天子魔の略で、他化自在天王(第六天の魔王)による働きです。この魔は、生命の根本的な迷いから起こるものであり、権力者等の身に入るなど、いろいろな形をとり、あらゆる力をもって修行者に迫害を加えてきます。
                                           ムムム、ムズカシー ヒヒ~ン

・・・難しいですね。私は特定宗派の仏教徒ではないのですが、最初に書いたように人生哲学として興味があります。

「修行者」=人間として置き換えてみると少し身近となりますかも。・・・・


2023.09.10 23:48 | 固定リンク | 人生マニュアル
人生マニュアル(2)
2023.09.10
仏教的な魔界について 1

仏教は人生の哲学としてとても興味があります。
西洋哲学も、そして心理学も同様に生きていくための指針として
参考にさせてもらっています。

・・・・しかし、人生の苦難にそうはた易く解決方法はありません。

苦しみの根源はなんだろう・・・とそのヒントになるかもしれない
のが次の仏教の考え方ですが・・・・
                             (前回の補足です)

シンセサイザー 「仏教組曲」第四番 「魔界」について

仏教に於いては「魔界」という言葉を使用していないのですが
その代わり、「魔縁」という表現があります。

文献から参照しますと魔縁については・・・・三障四魔(さんしょうしま)と表現されます。

三障とは聖道を妨げ、善根を生ずることを障害する3つだそうです。

ここからは仏教本を参照↓

魔縁 三障とは

(1)煩悩障…仏道の妨げの心、貪・瞋・痴(とんじんち)の三毒の煩悩によって仏道修行を妨げる働き。

ここで「貪・瞋・痴」の解説をどうぞ。

三毒煩悩とも呼ばれる、善の心を害する煩悩の最たるもの。
 貪 = むさぼり
 瞋 = いかり
 癡 = おろかさ ・・・・だそうです。

(2)業障…魂に刻まれた業、言語・動作、または心の中において悪業を造り、為に正道を妨げる働き

(3)報障…因果応報、悪業によって受けたる地獄・餓鬼・畜生などの果報の為に妨げられる働き

魔縁 四魔とは

四魔(Skt:catovāro-mārāh)

生命を奪い、またその因縁となる4つ、またそれを悪魔にたとえたもの

(1)陰魔…正しくは五陰魔(ごいんま)といい、心身からくる妨げで、色・受・想・行・識の五陰が、和合して成ずる身体は種々の苦しみを生じる働きをいう。五蘊魔(ごうんま)ともいう 。

(2)煩悩魔…煩悩障におなじ、心身を悩乱して、菩提・悟りを得る障りとなるから煩悩魔という

(3)死魔…修行者を殺害する魔、死は人命を奪うから死魔という。

(4)天子魔…第六天魔王(天魔、マーラ・パーピーヤス、魔羅・波洵、他化自在天ともいう)の働き

つづく

2023.09.10 23:45 | 固定リンク | 人生マニュアル
人生マニュアル(1)
2023.09.10

飲み会で殴られる人物とはどのような傾向があるのだろうか・・・・

基本的に「口数少ない人間」は殴られない・・・・という逆に「たくさんしゃべる人間」は
危険性が高くなりがちということですね。

自分が話している間は相手の顔色を観察するのがおろそかになります。
つまりは、相手の心情を計れず、また、話している人間のペースになりますから
相手方の意見を遮るケースも増えてきます。

そして、危険なのは、一端話し手を気に入らないと決め付けると 
<話している内容やその声を聴く事さえ>イライラさせる原因となり続け
相手は酔いの勢いもあって、怒りが倍増して暴力が発せられるという
不幸な事態となるのです。


・・・・・ただし、話をするだけで相手に嫌われるのではありません。

話の内容が
(1)人を見下すような話
(2)自慢、特に高慢と思わせる話
(3)無責任さを感じさせる話 
(4)自分勝手な印象を思わせる話
(5)相手方に強要させる話


それに反して

(1)思いやりを感じさせる話
(2)誠実さを思わせる話し方
(3)気さくで楽しい話し方
(4)心の広さを思わせる話の内容

プラス効果・・・何だか当たり前のようですが・・・・実は、酔いが深くなってくると
上に記した話へと移行する・・・つまり、本音で話し出すと危うくなってくるのです。


下記の4点は結構話す場合にはエネルギーが要るのですね。・・・相手に気を使いながら、丁寧に話していくのですから・・・・・

・・・・しかし、酔い過ぎると・・・でるはでるは「本音」で語る・・・数々の自慢話
女にモテた話、特定の人物の悪口や社会批判、会社批判、上司批判などなど・・・・


これは気心が知れた親しい友人であれば、素直に聴いてくれたり、さまざまなアドバイスもあろうけれども・・・・





社会心理学での「単純接触効果」・・・・相手との接触回数や時間が長くなれば
なるほど「対人魅力が増加する」というのありますが、それは印象が悪くないという
条件付きなのです。

・・・印象が悪ければ「単純接触効果」は嫌悪へとの悪循環から人間関係は
最悪となります。


つまり、初対面では

(1)思いやりを感じさせる話
(2)誠実さを思わせる話し方
(3)気さくで楽しい話し方
(4)心の広さを思わせる話の内容

に終始、徹することで、自分自身をあまりアピールしない方が得策です。

「懇親会」などは、「単純接触効果」を発揮する機会なのですが
その逆も結構多いのですね。・・・・「思ったよりも変な人だった。」
「なんか会ってみて幻滅した。」「話してみるとちょっと軽薄だった。」

・・・などと判断される場合も多いのです。




・・・・美術界では多いですね。・・・・特に出会う前の絵が素晴らしいものだから
作家本人と会うと、あまりに芸術性の高い作品からは想像もつかない・・・・

・・・・・しかし、作家の皆さん、そう思われることは実はとても幸せなのかもね・・・・




最後に、これから忘年会などの飲み会が多くなりますが、その時の人間関係のために、社会心理学では「社会的交換理論」というのがあります。

・・・人間は原則、利己的だという基本があり、相手と交流する場合でも
相互関係から<利益の最大化>を求めるということです。

職場の人間関係を深めて自己の立場を有利にする、親しい連中と交歓して
気分の転換を図ってリラックスする、或いは美人ママと話して気分発散する、
趣味の話や自分の生活・仕事・自己実現等の会話を弾ませ高揚する・・・など


つまり、参加者の全員がそれぞれに自己に対する何らかの「報酬」を求めているのが前提として、相互に利得を分ち合う精神が円滑なノミニケーションに必要だということでしょうか・・・・・・・

2023.09.10 23:35 | 固定リンク | 人生マニュアル

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