アートの日々
2022.11.21
アートというものは、悲しく切ないかな、貧しくて初めていい作品となる。

明日の生活にも困るような究極の状況で、絞り出すように、理不尽さを嘆き、ぶっつけるような心境で生まれるのでしょうね。

そうとは限らないという考えもあるでしょうけど、貧しさから脱出しても、富裕になれば今度は、精神が破綻してくる。

感性というものは、そういうものだ。安定と裕福さを嫌う。

貧乏か、精神が破綻するかだ。
命懸けならそうなる。

趣味なら大丈夫。気が向けば、描き、嫌なら描かない。で済ませられる。

さあ、貴方は、どうするかな?



「オニキンメと鬼嫁」




2022.11.21 03:31 | 固定リンク | つぶやき
個展やグループ展へと
2022.10.16
或意味で、これはあくまでも個人的見解だけど、アートを競争させるおかしさを感じますね。

例えば、地方の公募展だと、古典的な絵画から抽象絵画迄を並べて審査している。

不思議な光景だ。
特に一人審査員の場合、そこまでの考察技量があるはずがない。狂ってるんか、とは思わないけど、狂いそうな審査になるんじゃないかと。

よく審査員を引き受けているんだと、でも、比べるのは不可能だ。

だから、個展でいいんだよ。ときどきグループ展を開催してもいいから、各人の個性や芸術観を表現して欲しいね。

一般公募展は時代遅れかも。主催者はカテゴリー別のアート展を数多く展開したらいいでしょうね。
2022.10.16 18:09 | 固定リンク | つぶやき
基督教と家族
2022.09.17
 私が小さい頃、母親が基督教の教会の運営する幼稚園教諭だったので、三つ子の魂のように記憶が焼き付いています。
 幼稚園児で讃美歌を歌い、クリスマスには劇に参加したりと基督教を身近に日々過ごしたものです。

子供ながら「もぞりて~、転びて~」って何だろう。って思ってました。(笑)


日本基督教団というプロテスタント系の最も大きな教派ですね。ふつうで言うプロテスタントになります。
 母は小学校の先生を経て、組合の専従職員になります。そこら辺りからか、基督教会とは離れてしまいます。

 再び、基督教と触れたのは大学の時です。
関西学院大学に入学が決まり、基督教学Ⅰとして一般教養科目が必須科目でした。

関学は日本基督教団系列で、幼稚園の運営機関と同じいうのは感慨深いですね。


そして、私の元妻と子供は教会に通い、その影響もあってか、娘は国際基督教大学に進学しました。



 不思議な縁というのか、そっと手を差しのべて、助けていただいたような状況というのが、人生の節目だったような気が致します。

本当に感謝いたしております。もう、これ以上はご無理でしょうけど・・・

 娘は音楽家に、元妻は音楽講師、私はアートでクリエイティブな御返しができたら幸いですけど、なかなか難しいでしょうね。

未来はとても厳しいです。なんとか・・・一歩一歩・・・時間が少なくなりつつも、努力しましょうね。





2022.09.17 02:31 | 固定リンク | つぶやき
.最新作 三点
2019.03.21
公募展をやめてからは、独自の作品を自由な視点から描いています。

大きさも制限がありませんので、直近の三点は
それぞれ「2.2m」と「2.9m」の二点は完成しました。

四六時中描いています。

なかなか厳しい。
描くことは心地いいのですが、構想がありますのでそこは苦しみもあります。

(1)デッサン

(2)構図

(3)色彩

(4)創造性

(5)独自性

この五つのポイントを満たすことが目標なんですが
心地よさの中の厳しさ、苦しさにまみれています。((笑)

現在は2.9mを製作中ですが、もう少し大きくなるかもしれません。

さて、どうなるかあ。
2019.03.21 02:54 | 固定リンク | つぶやき

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