インスタレーション(16) トンネル
2017.01.04


題名:トンネル


トンネルを抜けるとき彼女は必ず夢想する。
こちら側の世界があり、向こう側の世界がある。
一気に突き抜けようとすると
双方の融合する処があり
そこには鉄格子の部屋が並んでいる。




両足を踏ん張って
彼女は鉄格子を掴み、揺する。
執拗に、繰り返し、揺する。
トンネルの壁は小刻みに震える。
それでも
鉄格子を掴み、揺する。
繰り返し、揺する。



やがて
強烈な光が彼女を照らし
忽ち、石の女となった。
インスタレーション(15) 天空への二輪車
2017.01.03
題名:天空への二輪車


自転車に乗って
空へと漕ぎ昇るという映画があった。
人間にとって
風切って遠くに移動すること
適度の運動快感を得ること
それはそれは随分と楽しませてくれた。





さようなら
さようなら
ガリガリのやせ細った自転車は
墓標のように据えられた鉄枠の上で
別れを繰り返した。


さてもそろそろと空中へと舞い上がる
ふわり無重力状態のようになって
うっとおしい風景とはおさらばだ。
乗り遅れまいと金髪人はジャンプする
なんとかハンドルにシガミつけた。
ヨォーシ!
インスタレーション(14) 廃バスの後方で埋もれる金髪人
2017.01.02

廃バスの後方で埋もれていく金髪人。


霊山の山頂へ向かう道の傍に、バスはひっそりと林間に溶け込んでいる。
金髪人は草叢に沈みつつ、鳥はさえずり、小動物は餌を求めて歩き回っている。





自己実現も、生きた証さえも無く、廃バスが墓標の如く残される。


それでもバスは発車したのだ。
林を突き抜け、山腹に長いトンネルを掘り抜いて、向こう側に到着すると眩いほどの太陽の光と田園風景が見渡されたのだ。
そして、バスからは金髪人が下車した。
インスタレーション(13) 壁面にて回顧する手群
2017.01.02


題名:「壁面にて回顧する手群」



われわれは何処から来て、何処へと向かうのか。
胴体から分離された手たちは、群れを作って壁に集う。
胴体との在りし日々を互いに回顧する。


謹賀新年2017
2017.01.01
新年あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。


干支である鳥をペンと鉛筆で描いています。
お手本は伊藤若冲です。

描いている最中に若冲の、というよりも日本古来の絵の極意のようなものが
ちょっとわかったような気がいたしました。
それは、構図や色彩、絵そのものも想像の産物だということに
気付かされました。

つまり、著名な日本画のほとんどが、写実に徹しているようで
実はクリエイトしているということ。
特に、若冲の鳥の羽根の構成やリズミカルな表現、この躍動性は意図して
仕上げているように思えました。



つぎの絵などは、かなり優れたデザインが施されているようであり、
描写力や表現力、その上卓越したデザイン力が見受けられます。



伊藤若冲 絵


これは伊藤若冲だけでなく、他の日本画家にも古来から西洋と比べると
はるかに想像力にものをいわせる描き方なのです。

例えば、書道などの「文字」に鋭い創作力を要求する日本人的な特徴は
西洋にない優れた部分ですが、如何せん、写実の極みに適するのは油絵具
という事情もあります。

日本画材の特徴ゆえに、写実、つまり徹底した写実に重きをおけなかったということなりゆくのです。
これは日本古来の絵具の性質上、グラデーションが表現しづらいところにあります。まったくというのではなく、圧倒的にグラの表現の容易さについては油絵具の方に軍配が上がるということからです。




       
               上村松園 絵


確かに、立体感や写実性には劣っても、日本画の伝統、それは浮世絵も含めて、いや、浮世絵がかなりの日本を背負っている感もするのですが、日本の芸術にとって幸いなことが結構あるのですね。

例えば、この日本画材の制限からくる表現方法がアニメの表現の源泉になっているのも否めないのです。現在の日本を象徴するようなアートの源泉はしっかりと過去の土台と継続、伝統に存するのは間違いないかと思います。

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