基督教と家族
2022.09.17
私が小さい頃、母親が基督教の教会の運営する幼稚園教諭だったので、三つ子の魂のように記憶が焼き付いています。
幼稚園児で讃美歌を歌い、クリスマスには劇に参加したりと基督教を身近に日々過ごしたものです。
子供ながら「もぞりて~、転びて~」って何だろう。って思ってました。(笑)
日本基督教団というプロテスタント系の最も大きな教派ですね。ふつうで言うプロテスタントになります。
母は小学校の先生を経て、組合の専従職員になります。そこら辺りからか、基督教会とは離れてしまいます。
再び、基督教と触れたのは大学の時です。
関西学院大学に入学が決まり、基督教学Ⅰとして一般教養科目が必須科目でした。
関学は日本基督教団系列で、幼稚園の運営機関と同じいうのは感慨深いですね。
そして、私の元妻と子供は教会に通い、その影響もあってか、娘は国際基督教大学に進学しました。

不思議な縁というのか、そっと手を差しのべて、助けていただいたような状況というのが、人生の節目だったような気が致します。
本当に感謝いたしております。もう、これ以上はご無理でしょうけど・・・
娘は音楽家に、元妻は音楽講師、私はアートでクリエイティブな御返しができたら幸いですけど、なかなか難しいでしょうね。
未来はとても厳しいです。なんとか・・・一歩一歩・・・時間が少なくなりつつも、努力しましょうね。
幼稚園児で讃美歌を歌い、クリスマスには劇に参加したりと基督教を身近に日々過ごしたものです。
子供ながら「もぞりて~、転びて~」って何だろう。って思ってました。(笑)
日本基督教団というプロテスタント系の最も大きな教派ですね。ふつうで言うプロテスタントになります。
母は小学校の先生を経て、組合の専従職員になります。そこら辺りからか、基督教会とは離れてしまいます。
再び、基督教と触れたのは大学の時です。
関西学院大学に入学が決まり、基督教学Ⅰとして一般教養科目が必須科目でした。
関学は日本基督教団系列で、幼稚園の運営機関と同じいうのは感慨深いですね。
そして、私の元妻と子供は教会に通い、その影響もあってか、娘は国際基督教大学に進学しました。

不思議な縁というのか、そっと手を差しのべて、助けていただいたような状況というのが、人生の節目だったような気が致します。
本当に感謝いたしております。もう、これ以上はご無理でしょうけど・・・
娘は音楽家に、元妻は音楽講師、私はアートでクリエイティブな御返しができたら幸いですけど、なかなか難しいでしょうね。
未来はとても厳しいです。なんとか・・・一歩一歩・・・時間が少なくなりつつも、努力しましょうね。
気候変動と人類の進化
2022.07.20
竜串海岸と火山津波(2)
2022.03.26
平ノ段からの小道を降りてくると目の前に砂浜が現れました。そして有名な海中展望塔も見えたので「桜浜」という綺麗な浜辺で写真撮影することにしました。
右手に展望塔、左手にあの櫛状になった「竜串」の海岸が夕日に映えています。しかし、まあ、ここ迄の人生で「竜串」の櫛状の景観を実際に見たことがなかったのです。結構興奮しましたね。夕景だったので、余計に美しく見られたのかもしれません。
暗くなりかけていましたが、桜浜の左手(東方向)に海面から1mぐらいの高さで、ずっと岩場の先端へと道があるではありませんか。百メートルほど進めば、櫛状の岩場が間近に見えます。午後六時を過ぎていましたが、薄明かりを頼りに引き込まれるように櫛状の岩場を進みました。

先端に立ってみようと好奇心が生じて、釣り場で慣れていた思いもあってか、そしてすこぶる凪いでいたのもあったのでしょう。外海なのにかなりの凪状態でほぼ先端に立って撮影が出来ました。人は私一人しかいなくて、独り占めの気分でした。櫛状の岩場の先端に座って太平洋の遠景をずっと眺めていました。
一月十五日は思ったよりも寒くなく、風もありませんでしたので、結構長居して午後七時近くになってしまいました。暗くなっても、月あかりもあって、帰り道はさほど苦もなく感じられました。
帰り道、ふと、先日撮影中に亡くなった写真家のYさんを思い出しました。
「Kさん、こんなところで写真を撮ってたら、津波がきたら流されるき、はよう帰りや。帰らんかったら、横着もんは連れていくき」と言いそうだなと考え、しかしながら、この長い人生のたった一日、竜串の櫛状の先端に立っているときに津波が来るなど、すこぶる低い確率だな、ありえないよと言い聞かせました。

その夜、帰宅してからの深夜に、津波注意報が発令されました。ほんと、驚くことに第一波が土佐清水にやってきたのは、午後八時過ぎから九時らしいですね。午後七時過ぎても竜串の櫛状の岩場で夜の海を眺めていたのですから・・・
もしかして、Yさんと津波のことが思い浮かばなかったら、もうすこし滞在したかもしれませんね・・・・
皆さんのご無事を感謝するとともに、Yさんのご冥福を切にお祈り致します。
右手に展望塔、左手にあの櫛状になった「竜串」の海岸が夕日に映えています。しかし、まあ、ここ迄の人生で「竜串」の櫛状の景観を実際に見たことがなかったのです。結構興奮しましたね。夕景だったので、余計に美しく見られたのかもしれません。
暗くなりかけていましたが、桜浜の左手(東方向)に海面から1mぐらいの高さで、ずっと岩場の先端へと道があるではありませんか。百メートルほど進めば、櫛状の岩場が間近に見えます。午後六時を過ぎていましたが、薄明かりを頼りに引き込まれるように櫛状の岩場を進みました。

先端に立ってみようと好奇心が生じて、釣り場で慣れていた思いもあってか、そしてすこぶる凪いでいたのもあったのでしょう。外海なのにかなりの凪状態でほぼ先端に立って撮影が出来ました。人は私一人しかいなくて、独り占めの気分でした。櫛状の岩場の先端に座って太平洋の遠景をずっと眺めていました。
一月十五日は思ったよりも寒くなく、風もありませんでしたので、結構長居して午後七時近くになってしまいました。暗くなっても、月あかりもあって、帰り道はさほど苦もなく感じられました。
帰り道、ふと、先日撮影中に亡くなった写真家のYさんを思い出しました。
「Kさん、こんなところで写真を撮ってたら、津波がきたら流されるき、はよう帰りや。帰らんかったら、横着もんは連れていくき」と言いそうだなと考え、しかしながら、この長い人生のたった一日、竜串の櫛状の先端に立っているときに津波が来るなど、すこぶる低い確率だな、ありえないよと言い聞かせました。

その夜、帰宅してからの深夜に、津波注意報が発令されました。ほんと、驚くことに第一波が土佐清水にやってきたのは、午後八時過ぎから九時らしいですね。午後七時過ぎても竜串の櫛状の岩場で夜の海を眺めていたのですから・・・
もしかして、Yさんと津波のことが思い浮かばなかったら、もうすこし滞在したかもしれませんね・・・・
皆さんのご無事を感謝するとともに、Yさんのご冥福を切にお祈り致します。