気候変動と人類の進化
2022.07.20
6月にヨーロッパで記録的な猛暑となっている。

イタリア南部のフロリディアで48.8℃。

フランス南西部で42.9℃

日本でも40℃は超えたが、まだまだ序の口なのかもしれない。

そして、昨日、英国のロンドンのヒースロー空港では40.2℃となってしまった。


今世紀中に地球は地下で住むことになるというのも、まんざらフェイクでもないだろう。

太陽光発電でもって、地下室を冷蔵庫のように冷やすことが当たり前になったりして。

my作品から「変身」




その前に、気候変動対策に無関心で逆行する戦争や兵器の増強に走るロシアと中国と北朝鮮の方々は、他の国と戦争にならないように、国ごと火星に移住していただくことをお願いします。
2022.07.20 04:00 | 固定リンク | 未分類
竜串海岸と火山津波(2)
2022.03.26
 平ノ段からの小道を降りてくると目の前に砂浜が現れました。そして有名な海中展望塔も見えたので「桜浜」という綺麗な浜辺で写真撮影することにしました。




 右手に展望塔、左手にあの櫛状になった「竜串」の海岸が夕日に映えています。しかし、まあ、ここ迄の人生で「竜串」の櫛状の景観を実際に見たことがなかったのです。結構興奮しましたね。夕景だったので、余計に美しく見られたのかもしれません。




 暗くなりかけていましたが、桜浜の左手(東方向)に海面から1mぐらいの高さで、ずっと岩場の先端へと道があるではありませんか。百メートルほど進めば、櫛状の岩場が間近に見えます。午後六時を過ぎていましたが、薄明かりを頼りに引き込まれるように櫛状の岩場を進みました。





 先端に立ってみようと好奇心が生じて、釣り場で慣れていた思いもあってか、そしてすこぶる凪いでいたのもあったのでしょう。外海なのにかなりの凪状態でほぼ先端に立って撮影が出来ました。人は私一人しかいなくて、独り占めの気分でした。櫛状の岩場の先端に座って太平洋の遠景をずっと眺めていました。




 一月十五日は思ったよりも寒くなく、風もありませんでしたので、結構長居して午後七時近くになってしまいました。暗くなっても、月あかりもあって、帰り道はさほど苦もなく感じられました。

 帰り道、ふと、先日撮影中に亡くなった写真家のYさんを思い出しました。
「Kさん、こんなところで写真を撮ってたら、津波がきたら流されるき、はよう帰りや。帰らんかったら、横着もんは連れていくき」と言いそうだなと考え、しかしながら、この長い人生のたった一日、竜串の櫛状の先端に立っているときに津波が来るなど、すこぶる低い確率だな、ありえないよと言い聞かせました。



 その夜、帰宅してからの深夜に、津波注意報が発令されました。ほんと、驚くことに第一波が土佐清水にやってきたのは、午後八時過ぎから九時らしいですね。午後七時過ぎても竜串の櫛状の岩場で夜の海を眺めていたのですから・・・

 もしかして、Yさんと津波のことが思い浮かばなかったら、もうすこし滞在したかもしれませんね・・・・

 皆さんのご無事を感謝するとともに、Yさんのご冥福を切にお祈り致します。



竜串海岸と火山津波 (1)
2022.03.26
 トンガで大噴火のあった日に、私は足摺岬の近くにいました。クリスチャン領主であった一条兼定の足跡を追って、有力豪族の加久見氏を調べていました。
 土佐の幡多の領主である「一条兼定」がクリスチャン領主であった事は地元の方でもあまり知られていません。私もその一人でした。



 とりあえず、最も一条氏を支えた加久見一族、地名にもなっていますので、土佐清水市の中心街から西へと加久見という地区と本拠地でもあった三崎地区へと足を延ばしました。



 
 一条氏と加久見氏の娘との子が、一条氏の嫡流となりますから、とても縁深い関係になっています。

 実は特に変わった場所でもなく、記念とした大きな建造物や観光遺跡もはっきりとはしていませんが、三崎の平野段は反骨の人物を生みだす素養だけは感じとられました。

 近接の風力発電に反対する運動の「のぼり」や張物があちこちにあって、さすがに反骨の地だという実感があり、友人の父親がこの地の出身で医者、伯父が国会議員というのも妙に納得させられました。

 そして、その地を降ると眼前に海浜公園のような場がありました。「桜浜」とあります。
あら、まあ、ここは竜串海岸ではありませんか。


つづく

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