インスタレーション(15) 天空への二輪車
2017.01.03
題名:天空への二輪車


自転車に乗って
空へと漕ぎ昇るという映画があった。
人間にとって
風切って遠くに移動すること
適度の運動快感を得ること
それはそれは随分と楽しませてくれた。





さようなら
さようなら
ガリガリのやせ細った自転車は
墓標のように据えられた鉄枠の上で
別れを繰り返した。


さてもそろそろと空中へと舞い上がる
ふわり無重力状態のようになって
うっとおしい風景とはおさらばだ。
乗り遅れまいと金髪人はジャンプする
なんとかハンドルにシガミつけた。
ヨォーシ!
インスタレーション(14) 廃バスの後方で埋もれる金髪人
2017.01.02

廃バスの後方で埋もれていく金髪人。


霊山の山頂へ向かう道の傍に、バスはひっそりと林間に溶け込んでいる。
金髪人は草叢に沈みつつ、鳥はさえずり、小動物は餌を求めて歩き回っている。





自己実現も、生きた証さえも無く、廃バスが墓標の如く残される。


それでもバスは発車したのだ。
林を突き抜け、山腹に長いトンネルを掘り抜いて、向こう側に到着すると眩いほどの太陽の光と田園風景が見渡されたのだ。
そして、バスからは金髪人が下車した。
インスタレーション(13) 壁面にて回顧する手群
2017.01.02


題名:「壁面にて回顧する手群」



われわれは何処から来て、何処へと向かうのか。
胴体から分離された手たちは、群れを作って壁に集う。
胴体との在りし日々を互いに回顧する。


インスタレーション(12) 土管の憂鬱
2016.12.30
題名:「土管の憂鬱」



藤子不二雄の作品によく土管が登場した。
設置前に野積みされた土管は弱き者たちの場所。
隠れ家であったり、住み家であったり、ごろりとなかに寝転がって悠々自適な時を過ごすのだ。
土管の上は急造の舞台となり、パーフォーマンス者にとって最高の場としての役割を果たすこともあったかもしれない。




この野積みされた土管は、本業の治水の役割を終え、放置されたままに苔生え朽ちてゆく。
怖がってこどもたちは近づかない。
通り掛かる人々にはうっとおしい風景となる。
もはや
粉々に砕かれ、舗装道路の下に封じ込められてしまう他にない。



「おい、治水事業でこの国を守ってきたぞ。」
「早く消え去れだって?」
「そう、破滅を晒すか、消滅して無となるかだ。」
インスタレーション(11) 終焉と誕生
2016.12.20
題名:「終焉と誕生」


ものには必ず、終焉がある。
この自動車も道路わきの雑木林に生い茂る草々の陰でひっそりとしていた。
もう役目を終えたようにみえる。

しかし、近づいてみると蜂の羽音がブンブンしている。
ガラスはすっかりと汚れ曇っているので中は見えないが、おそらく、蜂が巣を作り、運転席や座席、エンジンルーム、トランクなど、昆虫や小動物の住処となっているだろう。








新たなる生命の誕生があり、この強固な金属製の防御に守られて楽園となっているかもしれない。
一方が終焉となって、もう一方が誕生、発祥となる。
引き継がれたわけではない。
特に関連性もなく時間と存在が継続しているのだ。

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