マネキンのいる風景 No.23-24
2018.01.22
こんなところに五重塔があります。

信仰とは不思議なものです。叶えてもらえば感謝し、裏切られても「試練を与えらた」と解釈して、精進しようとします。

神は必ず、救ってくれると信じ続けること。それは人間の願いであって他に選択肢はありません。





ここの五重塔に訪れる人はほとんど地元の人たちです。
撮影に何度か来ましたけど、ここに出入りする人を見かけたことはありませんでした。人口が少ないから致し方ないのですが、現世に於いて必ずや救っていただきたいという執念のようなものが漂っているようです。





数キロほど車で走るとひまわり畑がみえてきました。(10月頃・・ここは遅め)

こちらにはたくさんの人々が訪れていました。
ちょっとした地元の景勝となっていましたが、ひまわりの花言葉には「幸福」や「輝き」とかがありますから、信仰のように訪れるのもありかなと思いましたね。



トルソーのある風景 No.10 蓮池
2018.01.19
ハスは悲惨である。

それはこの季節・・・・沼には欠片だけが沈んでいるようにみえるのです。

この林立していたハスの葉はすっかり枯れ落ちて、根っこだけになってしまう。
それも水面下の泥の中だから、それは寂しい限りです。


 ぎっしりと葉で沼は覆われ、ハスの花がとても美しい。
何とも言えない上品な、ちょっと重めの美しさがあります。






 均整の取れたトルソーはこの光景のなかで肉体美を発揮しています。



詩人で劇作家、劇団主宰の寺山修司の言葉にこうあります。

「人が最後にかかる、一番重い病気は「希望」という病気である。」

 なかなか手厳しい。人生最後の病床で天井をみつめながら、そう思わされるでしょう・・・


・・・・不条理の作家、カミュだとこうになります。

「希望とは一般に信じられている事とは反対で、あきらめにも等しいものである。そして、生きることは、あきらめないことである。」

 人生終焉が近くなっても、ほどほどになんとか行き抜いていくこと自体が、希望を捨てないという事と解釈したい。「希望」という重い病気、不治の病なのですから、墓石の下まで持ち込むということなのですね。
化面界隈  No.5~6 海岸
2018.01.11
海の傍に棲んでいるのは化面です。

時々海に入って様子をうかがったりしていますが、やっぱり、この流木のうえが落ち着くようです。






想い出すのは故郷のバリの海です。さんさんと照り映える海岸の砂浜に眠っていたころは天国でした。

こんな日本の海岸に辿り着くとは思いもよりませんでした。

子供たちはプールのなかで時間を争っています。

日焼けが怖いのでここの海岸では女性がほとんどクリームを塗っています。
魅力的身体を失うわけにはまいりません。小麦色の肌なんてもう昔話です。









いつの間にか流木が石に変わり、私たちはその岩に同化してしまいました。


不意に正岡子規の言葉が・・・・・

「春雲は綿の如く、夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く、冬雲は鉛の如し」

ちょうど今は、鉛のような雲が浮かぶ時期なんですね。
2018.01.11 00:22 | 固定リンク | 仮面界隈

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