顔
2019.08.10
顏
教壇に立つと
子供の顔だらけ
みんなの顔
こんな顔も
あんな顔も
たくさんの顔がある
笑う顔
幸せの顔
まん丸の顔の中にまん丸の笑顔
はちきれんばかりのまばゆい笑顔
ホクロもある
虫歯もある
泣く顔
辛い顔
さびしい顔
小さな不幸が小さな胸で大きくなったよ
大きな不幸が小さな胸を押しつぶすよ
小さい顔
しぼんでゆがんで
小さく小さくなった顔たち
がんばれ
がんばる小さな顔
たくさんの小さな顔たち
ひたむきな小さな顔
いきおいの小さな顔たち
大きく大きくなれ
真っ直ぐな心
真っ直ぐな道
かがやく笑顔になれ
第43回 高知県芸術祭 文芸賞 詩部門 佳作
平成26年
塾講師時代の作品です。実は、子供の笑顔は複雑ですよね。あっ、いや、大人だって輪をかけてもっと複雑でしょうけど、笑顔に隠された苦しみや悲しみもあるでしょう。
そこまで踏み込むことが果たして可能だろうか、いや、責務としてそれを探りつづけて尚且つ、寄り添っていくことですけど、如何せん、そのような能力が神から与えられたも、いや、神云々でなく人として私にあるかどうか、実は、そこが複雑な問題なのです。
だから、私の希望なのです。何も気付けず、何も出来なかった私の願いでもあります。
もう、手遅れでしょうけど、ほんとうに、ちょっとでも心を澄ませてみれば、分かったはずなのですけど。
教壇に立つと
子供の顔だらけ
みんなの顔
こんな顔も
あんな顔も
たくさんの顔がある
笑う顔
幸せの顔
まん丸の顔の中にまん丸の笑顔
はちきれんばかりのまばゆい笑顔
ホクロもある
虫歯もある
泣く顔
辛い顔
さびしい顔
小さな不幸が小さな胸で大きくなったよ
大きな不幸が小さな胸を押しつぶすよ
小さい顔
しぼんでゆがんで
小さく小さくなった顔たち
がんばれ
がんばる小さな顔
たくさんの小さな顔たち
ひたむきな小さな顔
いきおいの小さな顔たち
大きく大きくなれ
真っ直ぐな心
真っ直ぐな道
かがやく笑顔になれ
第43回 高知県芸術祭 文芸賞 詩部門 佳作
平成26年
塾講師時代の作品です。実は、子供の笑顔は複雑ですよね。あっ、いや、大人だって輪をかけてもっと複雑でしょうけど、笑顔に隠された苦しみや悲しみもあるでしょう。
そこまで踏み込むことが果たして可能だろうか、いや、責務としてそれを探りつづけて尚且つ、寄り添っていくことですけど、如何せん、そのような能力が神から与えられたも、いや、神云々でなく人として私にあるかどうか、実は、そこが複雑な問題なのです。
だから、私の希望なのです。何も気付けず、何も出来なかった私の願いでもあります。
もう、手遅れでしょうけど、ほんとうに、ちょっとでも心を澄ませてみれば、分かったはずなのですけど。
トルソーのある風景 10
2019.05.15
ハスは悲惨である。
それはこの季節・・・・沼には欠片だけが沈んでいるようにみえるのです。
この林立していたハスの葉はすっかり枯れ落ちて、根っこだけになってしまう。
それも水面下の泥の中だから、それは寂しい限りです。
ぎっしりと葉で沼は覆われ、ハスの花がとても美しい。
何とも言えない上品な、ちょっと重めの美しさがあります。

均整の取れたトルソーはこの光景のなかで肉体美を発揮しています。
詩人で劇作家、劇団主宰の寺山修司の言葉にこうあります。
「人が最後にかかる、一番重い病気は「希望」という病気である。」
なかなか手厳しい。人生最後の病床で天井をみつめながら、そう思わされるでしょう・・・
・・・・不条理の作家、カミュだとこうになります。
「希望とは一般に信じられている事とは反対で、あきらめにも等しいものである。そして、生きることは、あきらめないことである。」
人生終焉が近くなっても、ほどほどになんとか行き抜いていくこと自体が、希望を捨てないという事と解釈したい。「希望」という重い病気、不治の病なのですから、墓石の下まで持ち込むということなのですね。
それはこの季節・・・・沼には欠片だけが沈んでいるようにみえるのです。
この林立していたハスの葉はすっかり枯れ落ちて、根っこだけになってしまう。
それも水面下の泥の中だから、それは寂しい限りです。
ぎっしりと葉で沼は覆われ、ハスの花がとても美しい。
何とも言えない上品な、ちょっと重めの美しさがあります。

均整の取れたトルソーはこの光景のなかで肉体美を発揮しています。
詩人で劇作家、劇団主宰の寺山修司の言葉にこうあります。
「人が最後にかかる、一番重い病気は「希望」という病気である。」
なかなか手厳しい。人生最後の病床で天井をみつめながら、そう思わされるでしょう・・・
・・・・不条理の作家、カミュだとこうになります。
「希望とは一般に信じられている事とは反対で、あきらめにも等しいものである。そして、生きることは、あきらめないことである。」
人生終焉が近くなっても、ほどほどになんとか行き抜いていくこと自体が、希望を捨てないという事と解釈したい。「希望」という重い病気、不治の病なのですから、墓石の下まで持ち込むということなのですね。
トルソーのある風景 11・12
2019.05.15
深夜の歩道橋、しかし、ここは道路ではなく、海への水道にかかっています。
だから、自動車じゃなくて小さな船が行き交う上をひとが渡るのです。
だが、この時間帯にはほとんど、いや、私以外は誰もいません。
船ももうすこし明け方近くにならないと出港しませんから、波の音と川のせせらぎ・・・河口の流れですから微かに聞こえるばかりですから、あとはボラが飛び跳ねる音ですね。そして、近くにある工場からの音も聞こえてきますね。

この橋も、照明も、この水道もわたしのもの。
ふいに、パラノイアの世界に引き込まれかねません。

そういえば、以前にここで釣りをしていたら、沖向きの岸壁の方で足音がしていましたから、てっきり、人がいると思い込んでいました。
二時間ぐらいしてから、こちらではあまりに釣れないもので、様子を伺いにそちらへ歩いていきましたら、誰もいないんですね。この歩道橋を通るか、下を抜けないと帰れないはずなんですが、あの足音は一体何だったのでしょうか。
「河童?」・・・やっぱり、そうですね。こちらの地方では「シバテン」といいますけど、人を騙すそうなので、きっと人の足音をまねて歩いていたかもね。(笑)
だから、自動車じゃなくて小さな船が行き交う上をひとが渡るのです。
だが、この時間帯にはほとんど、いや、私以外は誰もいません。
船ももうすこし明け方近くにならないと出港しませんから、波の音と川のせせらぎ・・・河口の流れですから微かに聞こえるばかりですから、あとはボラが飛び跳ねる音ですね。そして、近くにある工場からの音も聞こえてきますね。

この橋も、照明も、この水道もわたしのもの。
ふいに、パラノイアの世界に引き込まれかねません。

そういえば、以前にここで釣りをしていたら、沖向きの岸壁の方で足音がしていましたから、てっきり、人がいると思い込んでいました。
二時間ぐらいしてから、こちらではあまりに釣れないもので、様子を伺いにそちらへ歩いていきましたら、誰もいないんですね。この歩道橋を通るか、下を抜けないと帰れないはずなんですが、あの足音は一体何だったのでしょうか。
「河童?」・・・やっぱり、そうですね。こちらの地方では「シバテン」といいますけど、人を騙すそうなので、きっと人の足音をまねて歩いていたかもね。(笑)