化面界隈  No.7~8
2018.01.24
廃校になった小学校の校庭に化面がいます。

化面はお気に入りの滑り台で楽しそうです。ところどころに錆があって穴なんかもあいていますが、それはご愛嬌というものです。

 少子化対策なんていっている割には、各地の児童公園の遊具が修理されずに、使用禁止にされ、寂しくロープや張り紙で覆い隠されています。





 GPSの表示とおりなら、ここはS小学校の校庭になりますが、完全に廃校となっています。


 「かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて 誰をさがしにくる村祭」

       こういう場には「寺山修司」の短歌がお似合いです。





淋しさなどへっちゃらと、化面二人は、仲良くブランコを楽しんでいます。

遠くから波の音が聞えてくるばかり、なんとも静寂な場所です。
試しに、私もブランコを漕いでみました。何年ぶりでしょうか・・・・・

私の身体はまるで雑木林の中に吸い込まれたり、吐き出されたり、そして空に吹き飛ばされて、あたかも海岸線をさまよう妄想気分でした。



 海に向かってアグリッパと記念撮影です。

 「漂いてゆくときに みなわれを呼び 空の魚と言葉と風と」

                      またもや、寺山修司でした。
2018.01.24 19:20 | 固定リンク | 仮面界隈
マネキンのいる風景 No.23-24
2018.01.22
こんなところに五重塔があります。

信仰とは不思議なものです。叶えてもらえば感謝し、裏切られても「試練を与えらた」と解釈して、精進しようとします。

神は必ず、救ってくれると信じ続けること。それは人間の願いであって他に選択肢はありません。





ここの五重塔に訪れる人はほとんど地元の人たちです。
撮影に何度か来ましたけど、ここに出入りする人を見かけたことはありませんでした。人口が少ないから致し方ないのですが、現世に於いて必ずや救っていただきたいという執念のようなものが漂っているようです。





数キロほど車で走るとひまわり畑がみえてきました。(10月頃・・ここは遅め)

こちらにはたくさんの人々が訪れていました。
ちょっとした地元の景勝となっていましたが、ひまわりの花言葉には「幸福」や「輝き」とかがありますから、信仰のように訪れるのもありかなと思いましたね。



トルソーのある風景 No.10 蓮池
2018.01.19
ハスは悲惨である。

それはこの季節・・・・沼には欠片だけが沈んでいるようにみえるのです。

この林立していたハスの葉はすっかり枯れ落ちて、根っこだけになってしまう。
それも水面下の泥の中だから、それは寂しい限りです。


 ぎっしりと葉で沼は覆われ、ハスの花がとても美しい。
何とも言えない上品な、ちょっと重めの美しさがあります。






 均整の取れたトルソーはこの光景のなかで肉体美を発揮しています。



詩人で劇作家、劇団主宰の寺山修司の言葉にこうあります。

「人が最後にかかる、一番重い病気は「希望」という病気である。」

 なかなか手厳しい。人生最後の病床で天井をみつめながら、そう思わされるでしょう・・・


・・・・不条理の作家、カミュだとこうになります。

「希望とは一般に信じられている事とは反対で、あきらめにも等しいものである。そして、生きることは、あきらめないことである。」

 人生終焉が近くなっても、ほどほどになんとか行き抜いていくこと自体が、希望を捨てないという事と解釈したい。「希望」という重い病気、不治の病なのですから、墓石の下まで持ち込むということなのですね。

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